世の中で格差問題が取り上げられる時には必ず、経済的に豊かな者は、良い教育を受け社会で成功するが、経済的に貧しいと良い教育が受けられず社会的に底辺となる、と語られます。結果としての経済格差の問題と学歴問題を同一視する傾向がある。
永田寿康という政治家がいました。
父は開業医で手広く医療法人を経営しているという裕福な家庭。永田寿康は東大工学部を卒業して大蔵省に入省という絵に書いたようなエリート街道を進みます。
30歳ぐらいの時に大蔵省を退社して政治家の秘書に。政治の時流に乗り31歳で衆議院議員選挙に立候補し、当選。その後も3回当選し、30代後半にして3期目の衆議院議員となります。
政治家としても経歴的には完全に先のある成功者であった永田寿康ですが、政治家として職務にの様子には影がちらついていました。
永田寿康の国会での野次が卑劣や不謹慎、軽率などで度々問題となり、実際にも懲罰動議がだされたり、民主党が発言の謝罪のする場面が度々生じていました。
そんな中、「捏造メール問題」が起こります。
事件の経緯は、偽の政治疑惑メールを永田寿康が軽率に信じてしまい、その後の対応も悪く、彼自身の政治家として資質信頼を大きく損なうことになりました。永田寿康は結局議員を辞職しています。
偽のメールを偽造し政治家に持ってきた常習のペテン師・詐欺師の西澤孝(後に別件で逮捕)が悪いのは当然ですが、偽メールの疑惑が生じてからの永田寿康の政治家として対応にも大きな問題があり、彼への非難や辞職は当然の流れといえるでしょう。
その後、永田寿康は精神病となり、千葉マリンスタジアムを貸し切って盛大な結婚式を挙げた前途洋洋・順風満帆な人生だったほんの数年前からは想像もできない姿となり、39歳の若さで自殺しました。
彼の政治家として末路は、いわば自業自得の面でもあるので、彼にかわいそうと同情する気持ちはほぼ私にはありません。
しかし、彼のように成功に成功を続けエリートとして歩んできたものが、一つのつまづきでここまで転落していったことには、深く想い考えるものがあります。
後からだから言えることかもしれませんが、捏造問題の際に、自分の至らなかった点を率直に認め謝罪し、議員を辞職していれば、30歳の若さならいくらでも再起の機会はあったはずです。
逆のその失敗を糧に、自分の見つめ直せば政治家としてもひとかわもふたかわも剥けた存在になり、今頃活躍していたかもしれません。
しかし、彼は自分の失敗を認め潔く身を引く決断ができなかった。自己保身に奔走した結果、事態はより悪い方に深刻になってしまった。
これは、彼の表面しかみていない我々一般市民からの感想ですが、エリート街道を力強く歩んできた永田寿康には、自分の非を認めるという選択肢はなかったのだろう。
「良将とは、退くべき時は退くものだ。」
という中国の言葉がありますが、強気の選択で成功に成功を重ねてきた彼には一旦落ちても時機を見て再起するという選択肢は思い浮かばなかったのかもしれない。
そうだとすれば、これまでの彼の(表面的ではあるが)順風満帆な人生が彼への仇となったということでしょうか。
人生というものは様々な局面を人に与えます。失敗や挫折をせずに最後まで人生を歩む人などまずいないでしょう。それは家がお金持ちであろうと貧乏であろうとかわりません。
だとすれば、人の真価というものは持って生まれた才能や学歴ではなく、自分にとって苦しい局面に遭遇した人生のターニングポイントでどう決断するか、どう生きるか?ということに関わっているのではないでしょうか。
冒頭に書いた格差問題ですが。
私は、人の人生の価値(幸福)が、生まれた家庭の経済力や高い教育を受けたかどうかで決まるなどとは全く思いません。大学を出れば幸せになれるとか、幸せの前提条件が作れるというほど人生は単純ではないのです。
(ちなみに、私は都内の私大トップクラスの某大学を出ましたが、まったく成功していません。自業自得の話ですが。)
結局、人の人生を決めるのは、お金でも学校でもなく、本人の資質そのものなのです。もちろん時運も関わってきます。
子供を大学に行かせるお金をどうするかを真剣に悩むより、子供に真の生きる力をつけてもらうにはどうしたらいいかを真剣に悩む方が子供にとってよっぽど有意義なのです。
子供の幸せを考えることを大学進学問題にすり替えて教えるべき難問から逃げている親は、永田寿康の人生を一度考えてみてください。
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