【引きこもりの長男を殺害した農水省元事務次官の事件】
東京都練馬区の自宅で長男を刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の無職、熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の第2回公判が東京地裁で行われ、熊沢被告は起訴内容を認めた。検察側は冒頭陳述で、長男の英一郎さん=当時(44)=の家庭内暴力を恐れ、殺害を決意したと指摘した。
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農水省元事務次官という肩書が全面にでてきて、事件の輪郭がぼやけてしまう感があります。
上級国民の犯した犯罪へのメディアの忖度を揶揄するコメントなども有ります。
しかし、この事件を冷静に見ると、社会でよく報道される「引きこもりの問題」の一つの行きつく先という意味で非常に感慨深いものがあります。
発達障害の息子が引きこもりを始めても具体的に親がどうすることもできない「無力」な場合がほどんとでしょう。
※発達障害といっても完全な病気ではなく状況は様々。
息子と言っても、体は大人、腕力は自分以上。
親に経済力があれば、ひきこもりの息子は意識的か無意識的かはとmかく親の金をあてにして、引きこもりを続けます。
親が息子を立ち直らせようとしても、息子はそんな親を疎ましく思い、いら立ち、暴力をふるうようになったりもするでしょう。
こうなった時に、どうすればいいのか?
誰かに助けを求めて、事実上はだれも助けてくれないでしょう?
引きこもりの問題は親が悪いとか言う人もいますが、結局のところ本人の問題なのです。
本人が社会に出て働くのは面倒くさい、しんどい、嫌だ!という考え方である以上周りはなにもできないのです。
仮に、今回の事件が起きずに、引きこもりがそのまま続いていたとしら、親はやがて死に、この息子は親の資産を食いつぶしながらやがて死んでいったことでしょう。それで、誰にも迷惑をかけないならそれはそれで仕方ない一つの人生とも思えます。
しかし、哀しいことにこの引きこもりの英一郎は、親に暴力をふるいだしたのです。
この殺された熊沢英一郎が、自分の人生がうまく築けなかったことへのいら立ちなど複雑な心理で日々暮らしていただろうということは想像に難くないです。
そうしたうっぷんが、親の自分への何かの不手際を契機に爆発することもあったかもしれない。
しかし、現実には、その親のおかげで、英一郎は働かず趣味に心を傾けながら生活できてたわけです。
その自分の拠り所である親に暴力をふるいだしたのは引きこもり以上の大きな間違いだったかもしれない。
しかも、親を追い込むほどの暴力。土下座の供用など。
英一郎は、追い込んではいけない人間(父親)を追い込み、脅し、結局その親に殺されてしまったのです。
死人に口なしで、熊沢被告の言い分を一方的に聞くのは危険だと考えられる方もいるでしょう。
たしかにその通りな面もあります。
ですが、自分の息子を殺したいと思う父親はいないでしょう。
しかも、息子を殺せば捕まるだけで自分の利益は何もないわけです。
つまり、殺すしかないというほど父親の熊沢英昭被告が追い込まれてしまっていたということは間違いないのでしょう。
生存している母親の証言も有ります。
結論としは、使い古された陳腐な表現にはなりますが、この事件は本当の加害者はいない悲しい事件ということになりそうです。
殺人事件とはいえ、その刑罰の重さは状況に応じて決められるもの。この事件の量刑は情状を重く斟酌すべきものと考えます。
《追記》
・元農林水産事務次官の熊沢英昭被告の殺人罪に問われた裁判員裁判の判決公判が2019年12月16日に開かれ、東京地裁は懲役6年(検察の求刑懲役8年)の実刑判決を言い渡しました。
《この事件へのネットの意見》
・家庭のことは誰にもわからない。
・誰か相談する人がいなかったのか。
・娘さんが自殺してるし、そうとういろいろ苦労があったと思うよ。
・「殺す」と脅したのだから殺されてもしょうがない。
・他の方法があったはず!とか無責任な発言するやつは解決案を示せよ。
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