【煽り運転】相手に非があれば仕返ししていい、と考える応報のバランス

無くならない煽り運転の事件

煽り運転がニュースで大きく取り上げられ、その危険性やリスクが取り座されている中、相変わらず続けられる自動車の煽り事件。

2020年6月30日には、煽り運転の取り締まりを設けた改正道路交通法が施行され、これからはさらに煽り運手への対策が強化されていくものを思われます。

煽り運転の動画が流される時のコメントを見ていると、コメントの7~8割は、煽り運転を馬鹿な行為と正しく認識しているが、コメントの1~2割は「被害側にも非があるはず!」、「原因を作ったのは被害者だろうからそもそも被害者が悪い!」という考えをうかがわせるものがある。

相手に何か非があればその仕返し、報復をしたい、という感情はわからなくもない。

だが、「相手に非があるから悪い!」という考えが根本的に致命的に間違っているのは、そもそもの相手の非と仕返しのバランスが全く取れてないからだ。

相手が、迷惑な幅寄せをしてきたなら、仮にその仕返しを考えるにしろ(仮にですよ)クラクションを一度慣らすとか、一度こちらから同じことを一度する(馬鹿なリスクなので合理的な思考の人はしません)のが応報バランスでしょう。

仕返しの煽り運転を危険行為を行えば、仕返ししたほうが相手よりはるかに危険な行為を繰り返しているので圧倒的に悪く犯罪者となるわけである。たとえきっかけが相手に有ろうと故意に危険な行為をすれば社会的には非難されてしかるべきなのです。

「暴行罪」の成立に体に触れる必要はない

法律の解釈を知らない人は多いでしょうが、

刑法上の「暴行」とは、「人体に感得し得る有形力の行使」のことをいいます。

つまり相手の体に触れなくても、殴る真似も暴行、相手の横に物を投げつけるのも暴行になります。

危険運転は、道交法が適用される場合が多いですが、車で幅寄せをしたり急停車することは刑法上も暴行になります。相手が感得し得る行為だからです。

その結果、相手が運転を誤って、追突したり何かにぶつかって怪我をしたら、煽った方が傷害罪です。死亡したら業務上過失致死(過失犯)てではなく、故意犯である傷害致死罪又は殺人罪に問われます。

これだけのハイリスクで危険、自分にとって何の利益も生じない煽り運転を、相手の不注意の運転への仕返しでする意味は全くないです。自分が損なだけです。

合理的に考えれば、仕返しの煽り運転なんて無意味な馬鹿行為でしかないのです。

私も車を運転していて、「なんやねん、この運転」と思うことや「いやいや、クラクションそんな鳴らさんでええやろ!」

と、思うことがたまに有ります。ですが、仕返ししてやろうとは思いませんね。だって自分に無意味なリスクでしかないですから(そこまで腹はたちませんけど)。

※余談ですが、クラクションを大きく鳴らすのは、沸点を一気に超えさせる場合があるので、身の安全のため他車に鳴らすのは止めた方がいいですよ。

応報バランスは日常生活での被害にも大事

この応報のバランスは、生活上誰かになにか害を加えられたり、不快にさせられた時にも考えることになります。

よく店員の不手際にキレて、暴れて捕まる人がいますが、ああいう事例もやり過ぎの典型ですね。

例:

●通りすがりの人に睨まれて(又は、唾を吐かれた)腹がったので殴った

→暴行罪(障害罪・傷害致死罪)

【合法ライン】睨む・文句を言う・つばを吐き返す程度(唾事例)

●逆走して走ってきた自転車に腹が立って、蹴飛ばしてこかした。

→暴行罪(障害罪・傷害致死罪)

【合法ライン】文句を言う程度

つまり、相手の不注意の過失ではなく、故意に無礼な行為や嫌がらせをしてくる人間に対しても、バランスを越えた反撃をするとこちらが犯罪者になるということです。

刑法には正当防衛という違法性阻却自由が規定されていますが、相手の攻撃の危険性を越える反撃をすれば、正当防衛は成立せず過剰防衛でせいぜい刑が減刑される程度です。

腹が立って、すぐ手が出てしまうという人は、こういった知識をもって合理的思考を考えるて生活する癖をつけていってください。きっと以前よりは生きやすくはなると思います(処世術)。

お店、路上、駅、運転中、世の中には、見ず知らずの相手を不快にさせる行為が無数に溢れています。でもそれを相手にしていては、まっとうに生きていけないのです。

 

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