農場のでの火事から助け出された子豚と大人の豚が半年後、助けた消防士たちにソーセージとして贈られていた

英南西部ウィルトシャーの農場で火事から助け出された子豚と大人の豚が半年後、助けた消防士たちにソーセージとして贈られていたことが分かった。ウィルトシャーのミルトン・リルボーンで2017年2月、レイチェル・リバースさんの農場の納屋で火事が発生し、わら60トンが燃えた。納屋にいた雌豚2匹と子豚18匹は、地元ピュージーの消防士たちに救出された。それから半年たった今月、リバースさんは豚たちを食肉として処理し、ソーセージに加工して、消防署にプレゼントとして送り届けた。

ピュージー消防署の消防士たちは、プレゼントのソーセージをバーベキューで楽しんだ。

一見、なんじゃそりゃ!?

、というニュースですが、どこも変なところが無い話。

「命を救っておいて、結局殺して食べちゃうの?」

という流れに違和感を感じる方が多いかもしれませんが、もともとの解釈にミスリードがあるだけなのです。

家事で焼け死にそうになった豚が、消防士によって命を救われたという解釈が少し違うのでしょうね。

良いか悪いかは別として、人間の経済社会において家畜の豚は殺されて食べられる運命になっています。

ですから、端的に言えば、消防士は、豚の命を救ったのではなく、家畜としての豚、つまり商品としての豚の毀損を救ったということです。いうなれば農場オーナを助けてあげたという感じでしょう。

もちろん、命を救ったことには間違いないですが、その意味は、家事の現場に飛び込んで人間の子供の命を救いだした、という意味とは違うということでしょう。感情としては、同じ感じですが、経済的には全く違うということ。

最初の一文でわざと、「消防士に命を救われた豚」と表現していかにも人道的な感情を醸成させていますが、「命を救う」という真の意味には、その後の自由が約束されてなければならないのです。

 

ですから、結局、助けられた豚は成長すれば(食べごろになれば)、殺された食べられます。今回は、ただ、消防士に感謝の意味でその豚という商品を送っただけのこと。

・・・。

ここまで書いておいてなんですが、まあ、どうでもいい話でしたね(´∀`;)。

 

そうそう、話はそれますが、命を頂く家畜に感謝して食べるのはいいことですが、たまに言われる「おいしく食べてあげることが家畜の供養になる!」というのはちょっと違う気がしますね。

家畜の気持ちは社畜にはわかりませんが、「殺されたくない!食われたくない!」とは思っているでしょうけど、「どうせなら、おいしく食べてね♥」とは、絶対思ってないでしょ!

 

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